またね

 

 

さよならは言えなかった

 

 

 

あの日の夜を今でも思い出せる。

学校が終わって真っ先に病院に向かう。祖母と一緒に病室に入ると真っ白なベットに頬の痩けた父が寝ていて、母が「おかえり」って笑う。ただいま、なんて恥ずかしくて言えなくて、「ん」とだけ返す。「おとうさん、(本名)来たよ」って呼んだら

 

 

 

 

「出ていけ!!!帰れ!!!!!」

 

って怒鳴られた。ティッシュの箱を投げて。

私は何を言ってるのかさっぱり分からなくて、早々と病室を出る。なんで怒られたのかなんて分からない。当時小学生の私は自分より背の高い人間の話なんて理解が到底出来なくて。ドラマみたーい、なんて思ってた。

 

その数日後、父は誕生日の翌日に亡くなった。胃がんで何も食べられなかったのに、父の姉、叔母さんが買ってきたケーキは1口食べたんだよって、お母さんが言ってた。

まだ少しだけ温もりの残る父を残して病室を出ると、窓からは青い空が広がっていて、世の中はいつも通りで、なんだかやっぱりドラマみたいだった。後ろに立っていた私の姉のお腹が鳴って「こんなに悲しくても腹は減るんだよ」って教えてくれた。それはそう。

 

それからはただバタバタと毎日が過ぎた。私は何もしなかったけど、周りの大人たちがみんなバタバタしていて、悲しい顔をしていて、私は実感なんてなくて。もしかしたら突然起きて全部ドッキリでしたー!とか、あるんじゃないかって。もしかしたら奇跡が起きて目を覚ますんじゃないかって。思っていたのだけど気づいたら骨になって出てきた。

 

(本名)ちゃんもまだ小さいのにね。

 

ってたくさん言ってた。おばあちゃんと仲のいいご近所のおばあちゃんたち。みんなとてもよくしてくれた。おばあちゃんに引っ付いていろんなおばあちゃんのお家に行ったし、可愛がってくれた。そんなおばあちゃんたちも、もう。

あ、まだ結構生きてます。みんな元気!!田舎サイコー。

 

もう会えないと実感したのはお父さんの仕事のカバンについてたドラ〇もんの鈴の音がしなくなったとき。私は子供のくせに強がりであまり泣いた記憶がない。というか多分父親の人生の11年間しか存在してなかったから。そのうちの6年ほどしか私の記憶にないから。お葬式で流れた父の一生を振り返るムービーはさすがにぼろぼろ泣いてしまったけど。

 

お父さんと結婚する!って言うような子供だった。お父さんが大好きだった。お父さんにベッタリだった。ずっとくっついてた。お父さんのお腹の上で小3ぐらいまで寝てたし、いびきがうるさかろうが、暑さが厳しかろうが、お父さんにひっつかないと寝れなかった。ほんとうに大好きだった。大好きという記憶しかない。

ドラマやコントでよく見る「お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで!!」のセリフ、私はきっと一生言うことなかったんだろうな。

 

会えなくなって8年経つけど、今でも思い出せるよ。顔も声も、仕草もいびきも、鼻の脂も胸板も鼓動も手の大きさも足の臭さもムダ毛の多さも。だって大好きだもん。私の中ではずっと生きてるんだ。私を呼ぶ声がするんだ。

 

あの日、「出ていけ」って怒鳴ったのは、私に情けない姿を見せたくなかったから。苦しんでる姿を見せたくなかったから。

 

だよって、お母さんが言ってた。お父さんの精一杯の強がりだった。私に初めて怒鳴ったんだ。末っ子の私はお父さんに甘やかされて育った。怒られた記憶は、無いに等しい。お父さんの中の「私のお父さん」を貫くために、私に、母に、怒鳴った。

 

死ぬこと、が未だになんなのか分からない。心臓が止まること。もう会えないこと。もう動かないこと。もう話せないこと。もう声を聞けないこと。このどれもが全て悲しくて寂しくてたまらない。

 

私の目の前にいる人たちどうか、どうか私より先に死なないで。

 

幸せでいて。私と出会った人たち。

 

 

 

 

 

今日もどこかで笑っていて。