おかえりなさい

 

「おはよう」

「いってらっしゃい」

「おかえり」

「おやすみ」

 

皆さんが興味のない私のお父さんの話をします。

私はそれはそれはもうお父さんが大好きです。11歳になってもベッタリで、トトロのように寝ている父親の上に乗っかって「重いよ」と言われてもお構い無しでした。

父はトラックの運転手で夜家を出て朝帰って来て、私が学校に行っている昼は家で寝てました。仕事に行く時はトラックのある場所まで母とお見送りして、たまにトラックで家に帰ってくる父が誇らしくて自慢でした。

小学2年の冬に、父とトラックに乗ってどこだか全然わからないけど遠くに行ったことがあります。姉のデジカメを持たされて、使い方を教えて貰って。父が運転しているあいだはトラックの運転席の後ろでぐだぐだアニメを見たりお絵描きしたり。夜はイルミネーションを見に行ってたくさん写真を撮りました。「近くに観覧車があるんだけど、それも綺麗なんだよ」って言っていた気がします。帰りはどこかのサービスエリアでよく分からないキーホルダーと母と姉にパワーのある石で作ったありがちなブレスレットとお土産を買って帰ったのを覚えています。

私は四人姉弟の末っ子で、歳の近い上3人もトラックに乗せていろんなとこに行ったらしいです。1番上の姉は3分で「帰りたい」と泣いたらしいです。ウケる。

私はお父さんと12年しか一緒にいられませんでした。あまりにも突然過ぎて、小学生の私には24時間テレビで見たようなドラマのようで現実味があまりなくて。

 

静かな病棟は宿題が捗りました。土曜はスイミングに行くまでの時間を一緒に過ごして、四人部屋だった時は隣のベットが空いてたのでお昼寝してましたごめん。お父さんの点滴スタンドには、姉がゲーセンで取ってくれた少し大きめのクマがぶら下がってて、看護婦さんが「あら可愛いわね」って笑ってました。父は少し恥ずかしそうだったけどずっと付けててくれて。

 

穏やかだった私の周りが一気にざわざわと動き出して、何もわからなくて、普通に怖かったです。全部がドラマで見たことあるようなないような。

 

正直トラックで仕事をしに行っていた父は帰ってこない日も多いし、入院していたので家にいないのが私には慣れていて。でも、毎週日曜の朝に聞こえていたカバンについていたドラえもんの鈴の音が聞こえなくなって初めて(もう帰ってこないんだな)って実感が湧いて。

「これはあなたが持っていなさい」って渡された手紙は、自分がいつかお父さんに書いたもので、【おしごとがんばつてね、】って汚い字で書かれてて。ぼろぼろだった。ずっと持ち歩いてたんだね。

 

私はお父さんが大好きです。この歳になっても。きっとずっと。

 

突然の別れを知っているからいつも不安になっちゃうんだろうね。日本は怖いから。地震は多いし物騒だし。いつなにがあるか分からないから。私の知らないところで大切な人たちに何かあったらって思うと怖くてたまらなくなる時がある。

 

「おはよう」

「いってきます」

「ただいま」 

「またね」

 

当たり前なんだけどそれは当たり前じゃなくて。毎日が奇跡みたいで。私もあなたもいつ何があるか分からないから。

今を大切にしたいね、っていうおはなし。

 

 

初めて上からみんなを見たんだけど、本当に素敵だったなぁ。フロアを見るみんなの瞳も、どんどん後ろも手が上がっていく光景も、(目が足りない)ってこういうことを言うんだろうな。昨日見た景色は絶対忘れたくないな。やっぱり生のライブがいちばんだよ。隣にいた男の人もね、赤いペンラ光らせて私と一緒にミキティー!って言ってくれてたの。嬉しかったなぁ。

 

後ろで声出してたら「ここどうぞ」って前開けてくれたフィロのスさんのオタクの方、絶対に届かないここで言うのもなんですが本当にありがとうございました。昨日はたくさんの人の優しさに触れて楽しく生きれたから、今日はたくさん優しくありたいな。

 

「ありがとう」