実家に帰っていました。

 

12月のJAPAN GAY TOUR 青森の時に一瞬だけ帰って、それ以来の実家でした。7ヶ月半ぶりくらい?でも1週間も帰るなんていうのは1年ぶりくらい?かな。

久しぶりに会った母と姉と祖母はなーんも変わってなくて、むしろ前より仲良く暮らしていた。私が学生だったときはあんまり遠出はしなかったのに、今はいろんな所に車で連れてってもらっているらしい。温泉が大好きで、私も毎週のように温泉に通っていたけど、今はいろんなところの温泉に行って、広いお風呂、露天風呂、熱い風呂に入っているらしい。天気がいい日は家の前でテーブルを並べて夜までお酒を飲んで、ご近所さんも交えてお話しているらしい。何故か用もないのに1ヶ月に1回はニトリに行くらしい。なんで??これは純粋な疑問なんだけどね。

 

私が家を出てからのびのびと生活しているように感じた。よかったねぇ。

私はとんでもねえダメ人間で、帰宅部のくせに家事を手伝うわけでもなく、友達と遊びに行くわけでもなく、バイトするわけでもなく(バイト禁止だっただけだけど)、ほんとにただダラダラとなんとなく過ごしていた高校時代だった。小中はまあそれなりにいろいろ頑張ってたけど、高校はまじでその反動かなんなのかなーんにもしなかった。勉強もテスト前に徹夜してそれなりの良くも悪くもない点数を取って、検定とかはできるのだけは授業でとったし、とれないものは取れないと諦めて捨ててた。ほんとにさ、生きてる意味、あるの?ぐらいの人間だった。生きてる意味といえばオタクすることぐらい。お小遣いを貯めて貯めて貯めて、長期休みは許可書を書けばバイトができたからバイトしてまたお金を貯めて、絶対行きたい!と決めたライブは自分で夜行バスのお金も出してたから、行きたいライブが重なるとまー大変で、取捨選択の毎日だった。行けなかったライブは夜中まで行った人のレポを漁って、(こんなことがあったのか)(そんなことを言ったのか)と想像して楽しんでた。

 

そんなオタクな娘が家にずっといたらさ、そりゃあ母も行きたいとこいけないよね。お外でご飯なんか食べれないよね。世間の目はこわい。私的には私よりも向かいのおうちの息子が夕方になると宇宙と交信する方がよっぽどこわいけど。

 

うちはうち!よそはよそ!そうだねお母さん。

 

でもぜんぜん変わらなかった。

変わったことといえば、お母さんが私が昔使ってた小さなアイロンを使って髪を伸ばしてたり、姉が前髪をくるって巻いてたりすることぐらいかなぁ?自分の見た目に気を使えるようになるくらい心に余裕ができたってこと。いいことだぁ。

 

こうして書いてるのは多分寂しいから。羨ましいから。私がもし、実家に残って就職してたら、なんて何度も考えたけど、今更想像なんてできなくて。でも全部母任せで生きてきたから、20歳になって洗濯もできない人間になってただろうなって思ったら、上京してよかったなって思ってる、なう。でも楽して生きてーー!!って思うのも、人間だからなのよ。

 

【1人で生きていけるなんて飛び出したのに結局僕が求めてるのは他でもない人の温もり】

 

毎日寂しくて泣いてる日もあった。家に帰っても話し声ひとつなくて。私は寮生で友達いないし、頼れる人も近くにはいなくて。愚痴を聞いてくれる人も、楽しかったことを聞いてくれる人もいない。ご飯は自分で作らないと出てこないし、洗濯も自分でやらなきゃ溜まる一方だし。WiFiないから動画も見れないし。仕事も上手くいかないし。

 

もう辞めよう。仕事も。人生も。

 

何度考えた?

 

なんでもいいから消えたかった。どうでもよかった。全部が面倒だった。憧れで優しくて大好きな先輩がいた。本当に大好きだった。恋かと思うくらいに。

でもその先輩は夏になって本店に異動した。まじで超泣いた。最後の出勤の日に、たまたま一緒で、最後の挨拶で超泣いちゃったの。私。びっくりするぐらい泣いちゃって。自分でも引いた。ロッカールームで泣いて、(よし、行ける)ってなって部屋を出たらごみ捨てに行って帰ってきたその大好きな先輩と居合わせて、いやなんでや、となったのをよく覚えてる。「また泣いちゃうんで話しかけないでください」と言ったらけらけら笑ってた。いやまじで。

 

その頃には本当にね、辞めてしまおうと思って、どうなってもいいと思って、転職サイトばっかり見てた。面接まで行った。結果は合格してたけど、結果が出る頃には私は救われてたから。

 

「今日のライブ良かったでしょ!?」

 

 

【やりたくないならやらなきゃいい】

【仕事学校 辞めちゃえばいい】

【じゃあ明日からどうやって生きるの?】

 

普段新曲を初めて聴く時はダンスばっかり見ちゃって歌詞は聞き取れないくせに、ここだけ、ここだけ覚えてた。8月31日。

 

 

 

朝起きるのが怖かった。早番が心底嫌で、なにも出来なくて失敗ばかりでやりたくなくて。私は接客がしたかったのにってずっと思ってた。私の家庭科の授業は高校一年生で終わってたのに。調理なんて出来るわけなくて。

寒天も求肥も粟羊羹もみかん羹もかき氷も、なんどもなんども失敗してなんどもなんども作り直して。泣きながら上司に「私には向いてないです」「辞めたいです」って訴えた。

 

私が救われた8月31日以降、何がどうなったかって言ったら、どうしようもなくやりたくなかった早番にシフトを代えてもらうことが増えた。理由は単純で会いに行くため。

この仕事が終わったら会える、というのは私の仕事に対するモチベーションをあげた。

絶対に失敗してはいけない求肥チャレンジは負けず嫌いな私を燃えさせたんだ。「こうしたら上手くいく」「こうした方が早く終わる」たくさん頭を使った結果、失敗は減っていった。求肥だけじゃない。その他もぜんぶ。

 

私は何度でも救われた夏の話をするよ。

 

 

今年も夏がきた。毎日毎日大変忙しくて本当に笑っちゃうくらいwwwwww笑えないくらいまじでwwwwやばいんだけどwwwwさ。

朝も夜も大好きな人に会える。大好きな人と船に乗る。大好きな人と海に行く。大好きな人と大好きな人の話をする。それだけでさ〜〜救われてるんだ本当に。ハー!!夏ってこんなに楽しかったっけ!?!!?

 

2019年の夏は本当に楽しい。まだ始まったばかり。もっと楽しい思い出増えるよ。まだまだ、ね。エーー!楽しみすぎる!ね!ミキティーさん!!